国会で捻じれが批判を浴びていたとき 「そうか、捻じれがいけないんだ」と素直に信じてしまった人は その判断に誤りがなかったかどうか、冷静に考える時期にあると思います。
「決められない政治がいけない」のではなく、「決めるまで検討を充分に重ねることのできる政治」が良いと思うのです。
戦争直前の挙国一致体制。大政翼賛会。それが日本を何処に導いたか。
まだ立ち止まって 見返すことができる場所にいると信じたいけれども、もはやギリギリの処かもしれません。
残念ながら、力を持った途端に 我儘や暴走を始めるのが政治なのでしょう。今の日本には 司法が充分に機能していないようですし、マスコミも記者クラブなどと言った一歩違えば大政翼賛賛助機関のようなものから離れられない人々ですから。

 

戦争は軍人が起こすのではない。
女性が政治に進出すれば平和と言うわけでもなければ、文官主導ならば平和と言うものでもない。
教育とメディアを制すれば 何でもできる。

決められないから、経済対策が時勢に即応するものにできないと言われて 人々は迷った。
「決められない政治がいけない」と喧伝された結果、思ってもいない方向に突っ走られて歯止めが効かなくなる。
経済は大切だけれども、経済を大切にして そのほか全てもお任せしてしまう。
経済を大切にして 全て身を預けてしまうことが良いことなのだろうか?

私はお金と引き換えに 自分を売りたくない。
お金は大切だろうけれども、お金と引き換えに 自由を奪われたくはない。

今、自民党に代わる政党に政権を委ねる場面はなかなか来ないだろう。
でも、「捻じれ」をもう一度再現することは何とか出来るのではないか?
立ち止まって、真剣に討論をできる状態に戻すために、「捻じれ」再現に期待したい。